2011年9月号の「岳人」に掲載された私の東日本大震災のお話
3月11日、それは私達夫婦の3年目の結婚記念日だった。偶然に仕事が早く終わって、帰り道に愛妻のために赤いバラを買った。その後、私たちが家の中で話していた時、地震に気づいた。しかしすぐいつもとは違う激しい揺れに驚いた。妻と眼を合わせ、「外へ出よう」と即断した。私は3歳前の息子を抱え上げ、妻は生後6週の娘を抱いて、一緒に外の道へ逃げた。近所の家も酷く揺れていて、うるさいほどだった。私はiPhoneで、アメリカにいる妹にメッセージを送った。「今、大きな地震が起きている。もしそちらでニュースになっても私たちは大丈夫だよ。」そして、Facebookにも似たような投稿をした。その後の24時間に、世界中の友達から「あなたたちが大丈夫でよかった」、「テレビの映像はたいへん酷くて、信じられない」というようなメッセージをもらった。13日の日曜日にはカナダにいる両親から電話があり「もうそろそろカナダに帰る時期じゃない?」と心配そうに母が言った。
そしてその日、福島第一原子力発電所の問題が発生した。それからの7日間にカナダやアメリカ、ヨーロッパやアジアの友達からもメッセージが来た。「家族と早くカナダに帰れ!日本は危ない!」「もう一つのチェルノブイリになるよ!早く日本から逃げろ!」「子供たちのために、早くカナダに帰って!」毎日毎日、何回も私は同じようなメッセージを読んだ。20日にまた母から電話が来た。「放射能が怖い。もう帰らないの?すごく心配しています。」
正直なところ、私たちはそんなに簡単には日本を出ることはできなかった。まず、私には住宅ローンと車のローンがある。それに貯金が少なかった。両親が帰国の費用を出してくれると言ってくれたが、カナダに帰っても、その後私はどうすればいいのだろうか?家やたくさんの荷物、そして車は?そのまま置いて行くのか?ローンや仕事はどうする?安全な場所にいる人達は簡単に「逃げろ!」と言える。でも私たちには逃げることは大変難しいことだ。埼玉から離れることは考えられなかった。結婚をする時に日本で一緒に暮らすことを決めた。カナダにも世界中の色々な場所へも行きたいが、妻と子供たちのために日本にこのまま住むほうがいいと思った。
もちろん、私は旅行では母国へ帰りたい。長い期間、撮影しに行きたい。それに両親や妹、友達にもまた会いたい。しかし、去年私は日本アルプスの写真集を自費出版で発行した。私の愛する日本アルプスを世界にもっと知ってほしい。一歩ずつ私は日本の山岳の美しさを外国の人達に紹介していきたいと思う。そしていつか、子供たちと一緒に日本アルプスの名山を登りたい。私はカナダを愛している。でも私の将来は日本にある。


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